どう生きるか
高校生の頃から、「人はどう生きるべきか」という問いを考えてきた。
24歳の頃、高校生に講演する機会をいただき、その問いに改めて向き合った。
そのとき、自分なりに出した答えは、
「中・長期的に自分が成したいことに向かって歩く生き方」
だった。
今でも、この答えは変わっていない。
なぜなら、人生で大切なのは、与えられた時間を何に使ったかだと思うからだ。
短期的な快楽
中・長期的に自分が成したいことがないと、与えられた時間に対して、何をすればいいのかわからなくなる。
そうすると、人は簡単に摂取できる快楽へ流れていく。
TikTokを見て時間を潰す。居酒屋に行って騒ぐ。ゲームをする。
もちろん、それ自体が悪いわけではない。休むことも、遊ぶことも、人生には必要だ。
ただ、そればかりを繰り返していると、ふと振り返ったときに、自分の人生に何も残っていないように感じることがある。
「あの時間は何だったのだろう」と思ってしまう。
一方で、中・長期的に成したいことがあれば、時間の使い方は自然と決まってくる。
TikTokを見ることも、ただ時間を潰しているのではなく、やるべきことの合間に休んでいる時間になる。
居酒屋で友人と騒ぐことも、ただ浪費した時間ではなく、大切な人との時間になる。
同じ行動でも、自分がどこに向かっているかによって、その意味は変わる。
だからこそ、僕は「何をしているか」以上に、「どこに向かっているか」が大切なのだと思う。
成し遂げることより、向かうこと
ただし、ここで一つ大切なことがある。
成したいことを、実際に成し遂げられなくてもいいと思っている。
夢に向かって使った時間は、夢が叶わなかったとしても無駄にはならない。
大切なのは、結果ではなく、その方向に向かって自分の時間を使ったことだからだ。
もちろん、何かを成し遂げられれば嬉しい。
でも、それだけを人生の価値にしてしまうと、自分ではコントロールできないものに人生を委ねることになる。
結果には、才能や環境、運、他人の判断など、自分では決められないものが含まれている。
一方で、自分がどこに向かうのか、今日何をするのか、何に時間を使うのかは、自分で決められる。
だから僕は、成したかどうかよりも、成したいものに向かって歩けたかどうかを大切にしたい。
自分が納得できる方向に時間を使い続けたのであれば、それで十分だと思う。
意味のある時間を積み重ねた人生は、美しい。
夢
では、何に向かって歩けばいいのか。
僕は、その「自分が中・長期的に成したいこと」を夢と呼んでいる。
夢は、大きくても小さくてもいい。
宇宙飛行士になりたい人もいれば、可愛いお母さんになりたい人もいる。
他人から見てどれだけ大きな夢なのかは、本質ではない。
大切なのは、それが自分自身の本心から「成したい」と思えることかどうかだ。
人から褒められるための夢でも、世間から立派だと思われるための夢でもない。
自分が、そのために時間を使いたいと思えるもの。
それが夢なのだと思う。
僕の夢は長く、「アメリカで幸せな家庭を築くこと」だった。
人によっては、とても小さな夢に見えるかもしれない。
でも、それでいい。
僕自身が、それを本当に成したいと思っていたからだ。
そして、その夢に向かって歩いている限り、日々の選択には意味が生まれる。
どこで働くのか。
誰と生きるのか。
何を学ぶのか。
何に時間を使うのか。
すべてが、自分の向かいたい場所につながっていく。
結論
僕にとって「どう生きるか」という問いへの答えは、結局とても単純だ。
自分が中・長期的に成したいことを見つけ、そこに向かって、自分の時間を使って生きること。
たとえ最後まで成し遂げられなかったとしても、その道を歩いた時間には意味がある。
人生とは、何を手に入れたかだけではなく、何に向かって自分の時間を使ったかでもあるのだと思う。
P.S. どう歩くか
歩き方はまた別の議論。僕には僕なりの歩き方のルールがあって、それはここに記載している。